記憶に残る折り紙の思い出(2)

〜サンディエゴのチャータースクールでの出来事

「私の学校には、ビーチに行ったことがない生徒もいるのよ」学校を訪問する初日の朝、私のホストファミリーでもある校長先生のジャンは、車を運転しながら言いました。 

私がいるのはカリフォルニア州の南にあるサンディエゴ。はるかに広がる青い海と空が魅力の港町です。意味が理解できずに聞き返すと、「親が貧しくて連れて行くことができないのよ」とのこと。 当時50代半ばのジャンは公立の学校教育に長年携わり最後に校長職を務めていましたが、自分のポリシーを生かした学校を作りたいと、約1年前に幼稚園から高校までのチャータースクールを設立したのでした。

かつて旅の途中で立ち寄ったサンディエゴの解放感とフレンドリーな人々が好印象で、私はいつかサンディエゴに1か月以上滞在したいと思い続けていました。そこで地元の学校で日本文化の授業をしようとネットで検索すると、一つのチャータースクールに目が留まりました。学校の特色として放課後にダンス、楽器、絵画など様々なカルチャークラスがあるのです。こうした学校なら、生徒が日本文化を学ぶことに賛同して下さるだろうと、紹介できる日本文化の種類、それまでの実績、生徒にメリットな点や私の訪問目的などをまとめて校長先生にメールを送ると、すぐに受け入れOKの丁寧な返信が届きました。 しかるべき推薦者なしに会ったこともない人を学校に受け入れるのは日本では考えられないことですが、アメリカではこんなことも簡単に実現できてしまうので、たじろがず挑戦してみようと思う者には魅力のある国です。

学校は幼稚園から高校まで同じ敷地内にあり、私が訪問した翌月に第一回目の高校卒業式が行われるところでした。ジャンのチャータースクールには40日間の滞在予定だったので、放課後以外にも幼稚園から高校の全クラスを回り、日本文化に関する授業をしました。 驚いたのは、小学生、中学生、高校生間の雰囲気の大きな違いです。 意欲の違いというのでしょうか、小学生クラスに行くと、新しいことを積極的に学びたいという意欲にあふれ,中学生は無気力、高校生となるとほとんどおしゃべりのし通しで私には見向きもせず、やる気は全く感じられませんでした。

ジャンの説明によると、生徒の親は大半が移民でその出身国は10数か国に及ぶそうです。貧困による移民以外に戦禍、政治的混乱、迫害による難民もいて、米国に来てから生まれた子もいればアメリカに移り住んでからの滞在期間も生徒それぞれといった状況でした。意識の高い親に育てられていると明らかに分かる子供達もいました。共通するのは、親には正規で働けるグリーンカードがない為、現金で日当を得る単純な仕事に従事するしか生活の糧を得られないのです。一人の男子中学生が私に「どうやってお金をかせいでいるの」と尋ねてきましたが、そうした質問はそれ以前に訪問した学校では考えられないものでした。初めて卒業生を送り出すのにお金が無いでのパーティは行えないと聞き、ジャンにパーティに必要な金額を尋ねると、200~300ドルと言われました。そこで私は折り紙で鶴のイヤリングを作って売りその収益をすべて寄付しようと考えました。 一組のイヤリングを10ドルにして30組売れば300ドルになります。

私のアイデアをジャンに伝えると彼女は積極的に売る努力をしてくれました。貧しい生徒の親に売るのは無理なので、ある時は、ジャンが出席する他校の先生方との話し合いに、私もイヤリングを入れた箱を持参して参加しました。 休憩時にイヤリングを見せながらジャンが趣旨を説明すると、たちまち9組売れました。別の日、学校での活動に対してのお礼としてミュージカルに招待してくれたのですが、ジャンは劇場の前でイヤリングの箱を開いて訪れた人達に声がけをしたのです。 彼女の呼びかけを完全に無視する人はいましたが、なんと10分足らずで7組売れてしまいました。彼女によれば、ミュージカルに来るのは金銭的に余裕がある人達だから見込み客というのですが、その行動力はなかなか真似ができるものではありません。 

卒業パーティ開催に向けての収益活動の経過報告は、高校生達のクラスを訪れた時にしていたのですが、実際に売れ始めると生徒達の私を見る目に変化が生じてきました。 最初は「このおばさん、一人で盛り上がっている」といった冷ややかな視線だったのに、次第に私の話にも耳を傾けてくれるようになったのです。生徒達の経済状態が私にも分かってくるにつれ、中学生の中で格別折り紙に深い関心を抱いて、なんでも上手に手早く折ってしまうメキシコから移民した二人の男子生徒には、売れる作品ということで折り鶴をモビールにする方法なども指導しました。折角折り紙を教えるのなら、生徒の生活にも夢を与えるようなことをしたいと思うようになったのです。

私が帰国した後で300ドルの収益に達してパーティが開催できたとジャンから報告がありました。 私がチャータースクールを訪問したのは2012年でしたが、2019年にはトランプ政権による政策の変化で移民に対しては締め付けが非常に厳しくなっています。ジャンのチャータースクールの生徒の家族は平穏に暮らしているのでしょうか。

チャータースクールでの活動の様子

チャータースクール:親や、教員、地域団体などが、州や学校の認可(チャーター)を受けて設ける公立学校。 州や学区の法令、規則の適用が免除され一般の公立学校とは異なる方針、方法で教育をすることも可能。ただし、一定の成果を上げないと認可は取り消される

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