パリ生活 ②

一期一会からパリで下宿を確保

パリの地下鉄内で立っていた時でした。 突然「きれいな靴ね」と傍らに座っていた女性が話しかけてきました。「東京で買ったのです」「分かるわ」その女性は見るからに知的でほっそりとした50代と思われる美しい人。

私が履いていたのは地下足袋靴で、歩くのに楽だろうと旅の直前に購入し、赤やゴールドで彩られた色合いがかなり目立つものでした。「日本に行ったことがあるの」と彼女が言ったところで、下車駅に着いたようで「座ってね」と彼女は立ち上がりました。その時、私は無意識に自分のメールアドレスなどが書かれたカードをバッグから取り出し彼女に渡しました。すると彼女の方も急いでバッグから自分のカードを出して私にくれたのでした。時間にしたらほんの数分の出来事です。

そこからローレンスとメールのやり取りが始まり、彼女が日本文化を非常に敬愛していて、前年には1か月ほど東京や京都を含め一人で日本を旅していたのを知りました。食に関する会社でかなり忙しい役職にいるようでしたが、私がそれまでやってきたことにも関心を抱いてかなり頻繁にメールが交わされました。ある時、頭にふと楽しいことが浮かんだ私は彼女にそれを書いたのです。「私は東京で生まれ育ったので、第二の故郷と呼べる場所はない。パリが自分のもう一つのホームタウンになったら良いなあと思っている」それは深い考えもない単なる思い付きだったのですが、彼女は私の考えを面白がり「パリで友達ができるよう日本文化を紹介する機会を作るなどできる限り応援する」と返事をくれたのでした。

まずは安く下宿できる所を確保ということで、ネット検索から立地、治安、部屋の状態の良さそうな数か所を彼女が選び、そこから私に選ぶようにしてくれました。交通の便が非常に良くて部屋の広さもまあまあと思われるアパートの一部屋を私が選ぶと彼女がその大家さんと交渉して3か月間の下宿が決まりました。パリで安く生活するとなると宿泊先が問題になるので、現地で協力してくれる人がいないとこうしたことは実現できないだろうと思います。

そんなことから私は2016年の夏の3か月をパリだけで過ごすことになり、ローレンスだけでなくアパートの大家であるサミアの協力で茶道や折り紙を紹介する機会を何度か得ることができたのでした。それ以来パリに行くとサミアの部屋に滞在していますが、最初から下宿代は安かったにも拘わらず、「Mihokoは私の友達だから」と翌年からさらに金額を下げてくれて、ひと月の家賃は中級ホテルの2~3泊代ほどで「なんとラッキーな」とパリの人からも驚かれるほどです。夏はサミアが自分の故郷のチュニジアにある家に長期で行ってしまうこともあり、これを書いている2019年には私は80数平米のアパートを一人で使っています。

道を尋ねた相手と交流が続くこともありますから、どこにご縁があるか分かりません。美術館の場所が分からず、前方から歩いてきたにこやかな女性に道を尋ねたら、私が日本人と分かって翌月夫と東京へ旅行すると話が弾み、近くに住んでいるので「フランス人の家を見てみたいと思わないか」と誘われて室内を見せて頂いたことがあります。フランスの首相が住んでいる家も近いという同じ通りの高級住宅街。150平米の広いアパートでした。日々が一期一会。私にとってひとり旅は新しい友を得たり、その後の人生を広げたりする機会になっています。

パリの下宿
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